「世に平和を与えたまえ」 望みなき諸事を援ける聖心の聖母 ミシオンの小聖画 ロワール、プラディーヌ修道院 図版番号 94


パピエ・ヴェルジェに石版画 手彩色

12 x 7 cm


フランス  1951年



 温かみのあるクリーム色のパピエ・ヴェルジェに、石版画で聖母子を描き、手作業で水彩を施した小聖画。





 この聖画において、淡い青色の衣を着たマリアは、幼子イエスを左腕に抱いています。本品を含め、聖母子像のマリアはほぼ必ず左腕に幼子イエスを抱きますが、これは被昇天の後、マリアが天上においてイエスの右(向かって左)の座にあることを表します。

 聖母に抱かれたイエスは左手に聖心を持っています。聖心はちょうど聖母の胸の前にあるので、聖母の聖心(汚れなき御心)のようにも見えますが、聖母子像において聖母だけに聖心(汚れなき御心)が描かれた例を、筆者(広川)はこれまでに見たことがありません。しかるに聖母子像のイエスのみに聖心を描いた作例は多く、聖母に抱かれた幼子イエスが自らの聖心を手に持っている図像もよく見かけます。したがってこの作品においても、聖母の胸のあたりに輝いているのは聖母の聖心(汚れなき御心)ではなくイエスの聖心であり、イエスは自分の聖心を手に持っていると考えられます。




(上・参考画像) Rembrandt Harmenszoon van Rijn, Simeon in the Temple (details), 1631, Mauritshuis Royal Picture Gallery, The Hague


 聖母はヴェールで髪を隠しています。ヴェールは祈りの象徴であるとともに、悲しみの象徴でもあります。目を閉じて物思いにふける表情からは、聖母の悲しみを読み取ることができます。聖母子像のイエスはまだ幼く、受難までには時間がありますが、聖母は新生児イエスの神殿奉献の際、将来イエスの身に起こる事のゆえに「心を刺し貫かれる」ことを、預言者シメオンから聞かされました。「ルカによる福音書」 2章 34 - 35節には次のように記録されています。

     シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。-あなた自身も剣で心を刺し貫かれます-多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
     「ルカによる福音書」 2章 34 - 35節 新共同訳





(上) J. ピリウによる石膏彫刻 「エジプトへの逃避における休息」 縦 30.5 x 横 24.5 cm フランス 19世紀後半 当店の商品です。


 またイエスが二歳の頃、マギの言葉で猜疑心を抱いたヘロデ大王による殺戮を逃れるために、マリアはイエスを連れてエジプトに避難しなければなりませんでした。心優しいマリアは殺戮された幼子たちのために嘆いたでしょうし、わが子イエスの待ち受ける運命にも不安と悲しみを抱いたでしょう。この作品において、母の腕の中で無邪気に微笑むイエスとは対照的に、ヴェールに象徴される神への信仰を持ちながらも悲しげに見えるマリアの表情には、このような理由があるのです。




(上) ロバンの原画に基づく細密グラヴュールのカニヴェ 「聖心の聖母 『神の母』に次ぐ美しき御名」 1867年6月29日 ピウス9世による免償 (ドプテ 図版番号不明) 113 x 71 mm フランス 1867年頃 当店の商品です。


 幼子イエスの聖心を強調した本品の聖母子像は、「聖心の聖母」(ノートル=ダム・ド・サクレ=クール Notre-Dame de Sacre-Cœur)を表しています。「聖心の聖母」は「望みなき諸事を援け給う守護者」(patronne des causes désespérées)、すなわち実現しがたいことを実現させるべく援けを与え給う守護者ですが、汚れなきわが子イエスが受難して救世を成し遂げるのを十字架の側で見守ることこそ、母マリアにとって最も実現しがたいことであったはずです。信仰に抑えられた悲しみを宿す聖母の視線はイエスに向けられ、イエスの視線と一体になって、この小聖画を見る者に優しく注がれています。





 聖母子の下にフランス語で書かれた「汝の避け所此処にあり」(VOICI VOTRE REFUGE) という言葉は、「スブ・トゥウム・プラエシディウム」(SUB TUUM PRAESIDIUM ラテン語で「御身の庇護のもとに」) を思い起こさせます。「スブ・トゥウム・プラエシディウム」は聖母に対する最古の祈りであり、早くも三世紀半ばには現在と同じ形で唱えられていました。ローマ典礼のラテン語テキストにより、「スブ・トゥウム・プラエシディウム」を引用いたします。日本語訳は筆者(広川)によります。

     Sub tuum præsidium confugimus,
sancta Dei Genitrix.
Nostras deprecationes ne despicias
in necessitatibus,
sed a periculis cunctis
libera nos semper,
Virgo gloriosa et benedicta.
    御身の庇護の下(もと)に私たちは逃れます。
神を産み給いし聖なる御方よ。
私たちの懇願を、
困難な状況において拒み給わず、
さまざまな危険から
私たちを常に解き放ち給え。
栄光に満ちて祝福されたるおとめよ。



 本品最下部の左下には、「図版番号 94 ロワール、プラディーヌ修道院」(No. 94 Abbaye de Pradines, Loire) と書かれており、この聖画がフランス中部の山間部にある小さな町プラディーヌ(Pradines ローヌ=アルプ地域ロワール県)のベネディクト会女子修道院で制作されたことがわかります。水彩絵の具で手彩色を施したのも、プラディーヌ修道院の修道女です。プラディーヌ修道院は多数の美しい聖画で知られ、やはり美しい聖画制作で知られるジュアール修道院と深い関係にあります。





 本品の裏面には次の言葉が書かれています。

     SOUVENIR de RETOUR de MISSION
du 16 au 23 septembre 1951
   1951年9月16日から23日
ミシオン参加記念
                 
    NOTRE DAME du PERPÉTUEL SECOURS
Gardez-nous dans la ferveur
   絶えざる御助けの聖母よ、
我らの熱意が冷めないように守りたまえ。
                 
     NOTRE DAME de L'ESPÉRANCE
Donnez la paix au monde
   希望の聖母よ、
世に平和を与えたまえ。
                 
     PAROISSE DE NEAUX    ノー教区
                 
     Prédicateur
R. P. BORDET, rédemptoriste
  Curé
J. AUCLAIR 
   説教者
レデンプトール会士 ボルデ神父
  主任司祭
J. オークレール 


 本品は「ルトゥール・ド・ミシオン」(RETOUR de MISSION)、すなわちミシオンに参加して帰って来た記念の聖画です。「ミシオン」(mission) とは、主に農村部において、教区民の信仰心を高めることを目的に、一週間ほどの日程で開かれるカトリック教会の催しを指します。ノー(Neaux ローヌ=アルプ地域圏ロワール県)はプラディーヌの南東すぐにある山間部の町です。1951年9月16日(日曜日)から23日(日曜日)にかけて、ノーでミシオンが催され、教区民の信仰心の高揚と世界平和が聖母に祈られたことが、裏面の文字から読み取れます。


 プラディーヌのすぐ北に、ロアンヌ(Roanne ローヌ=アルプ地域ロワール県)という産業都市があります。ロアンヌはプラディーヌやノーを含むロアンヌ郡の中心都市です。ヴィシー政権時代の 1940年12月13日、このロアンヌに、レーヨン製造会社「フランス=レヨン」(France-Rayonne) が設立されました。「フランス=レヨン」はリヨンの繊維関連企業ジレ (la maison Gillet) が 67パーセント、ドイツのイー・ゲー・ファルベン (IG Farben) が 33パーセントを出資するヴィシー政権時代最初の仏独合同企業で、ドイツから原料を輸入し、製品のほぼすべてをドイツに輸出していました。

 「フランス=レヨン」はドイツとの関係が深かったゆえに、第二次世界大戦中はたびたび愛国的罷業(ひぎょう ストライキ)や対独レジスタンスの標的となりました。1944年6月6日、連合国軍がノルマンディーに上陸し、8月25日にはパリが解放されました。ドイツが敗退へと追い込まれつつあった 8月18日、ロアンヌの軍事工場と「フランス=レヨン」で働くドイツ人技師たちは、ロアンヌを脱出し、ドイツへと向かいます。技師たちの車列を襲撃すべく、フランスのレジスタンス部隊 60名がノーで待ち伏せしましたが、ちょうどこのとき 160名の兵士、80台の車両、二台の装甲車で構成されたドイツ軍部隊が、ロアンヌと逆方向からノーに到達しました。このドイツ軍部隊の移動について何も知らなかったレジスタンス部隊は、ドイツ側に先に発見されて攻撃を受け、レジスタンたちも果敢に応戦しましたが、衆寡敵せず、レジスタン 15名が殺害されました。このときノーの住民4人も戦闘に巻き込まれて死亡しています。この出来事は「ノーの戦闘」(le combat de Neaux) として記憶されています。

 ミシオン・パロワシアルは信仰心を高めるための催しですから、本品の裏面には「絶えざる御助けの聖母よ、我らの熱意が冷めないように守りたまえ」と書かれています。しかしながら本品においては、「希望の聖母よ、世界に平和を与えたまえ」という祈りも、聖母に捧げられています。ミシオンが開かれた 1951年9月は、「ノーの戦闘」からまだ6年7か月しか経っていません。戦後初めて開かれたミシオンに際して、ノーの人々は心から平和を祈ったに違いありません。





 本品は和紙と同様に、紙料を簀(すのこ)で漉(こ)して作った手漉き紙でできています。このような紙を、フランス語でパピエ・ヴェルジェ (papier vergé)、英語でレイド・ペーパー (laid paper) と呼びます。上の写真は透過光で撮影したもので、簀の跡がよく判別できます。

 ルネサンスから18世紀までにヨーロッパで作られた植物性の紙は、パピエ・ヴェルジェでした。この聖画は20世紀のものでありながら、パピエ・ヴェルジェに刷られた珍しい作例です。小聖画の紙そのものも、プラディーヌ修道院で作られたのかもしれません。





 本品は六十年以上前に制作された真正のヴィンテージ品で、ところどころに折れ目がありますが、破れた箇所はありません。聖画は良質の中性紙に刷られており、劣化しておらず、酸性紙のような劣化は今後も起こりません。

 下記の価格には、小聖画だけでなく、商品写真に写っている額、マット、ベルベット、工賃、税も含みます。写真に写っている額は樹脂製の自立式で、サイズは縦 20.5センチメートル、横 15.5センチメートル、厚さ 2.5センチメートルです。ご希望により壁掛け式の金具を無料で取り付けいたします。写真の額が在庫していない場合、同等クラスの他の額をご用意いたします。異なるデザインや色の額をご希望の場合も、柔軟に対応いたします。何なりとお気軽にお申し付けくださいませ。





14,800円 (税・額装込み) 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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